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バチェラーが日本では流行らない3つの理由

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■バチェラーとは?

1人のハイスペックな独身男性を巡って25人の女性が争う恋愛リアリティ番組で各話の最後にローズセレモニーというイベントが行われ、バラをもらえなかった女性が脱落していき、最終的には1人の女性のみが残り、バチェラー(男性)より結婚を前提とした交際の申し込みが行われるというシステム。

2002年からアメリカでThe Bachelorとしてスタートし、1人の男性を25人の女性が狙うという斬新なアイデアで人気となり、現在では世界225カ国以上で放送されているアメリカの国民的人気番組である。

そして2016年の2月16日にアマゾンビデオにてローカル版であるバチェラージャパンとして日本での放映がスタートした。

 

しかしながら、このぶっ飛んだ設定に興味を持って実際にバチェラーを視聴してみたのだが、「これは日本では流行らない」と思ったので今日はその理由3つを述べていこうと思う。

 

①財産や社会的地位を誇示する行為を嫌う日本人の国民性

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アメリカで有名番組に"カーダシアン家のお騒がせセレブライフ"という番組がある、僕がよく行くタイでも金持ち自慢のテレビ番組がとても人気がある。

日本では金持ちが番組内のコーナーの中でピックアップされることはたまにあるかもしれないが、番組として金持ちがセレブ自慢するような番組を僕は知らない。

日本人は島国特有の美徳感を持っている。

日本人はセレブ自慢すること、特に財産や権力を誇示する行為には嫉妬の意識が強い。

日本にいると気づきにくいし、もちろん外国人だって嫉妬はする人もいるだろうが、セレブ自慢番組が人気があることを考えるとどちらかと言えば、そういった成功者に対する尊敬や羨望を持つ人が多いのだ。

これは個人主義の外国人と協調性を重んじる集団主義の出る杭は打つ日本人との国民性の違いだ。

結局何が言いたいかと言うと、財力を振りかざしてハーレム状態を日本中にさらけ出すバチェラー役の久保裕丈に対する印象が日本では特に良くないということ。 

 

②リアリティ番組なのにリアルさが無い

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まず大前提として初対面のセレブな男性を25人の女性が狙うという設定に違和感がある。

海外だと女性も積極的だが、奥ゆかしさを求められる日本ではこのシチュエーションは現実と解離しすぎている。

その非日常感が面白さなのかもしれないし、確かに今回のバチェラー役の久保さんはとても魅力的な人物であるが、25人の女性の中に実際会ったら久保さんがタイプでなかったという女性が1人くらいいてもおかしくないのではないか。

リアルさが無いとこういったリアリティを追求する番組は一気に女性のプロモーション感(売名感)が出てしまって興ざめしてしまう。

久保さんはただそこにいるだけで、ただの女性同士のプライドの張り合いとも感じた。

 

③思ったほど女同士のギスギスした空気感が無い

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大胆な行動を普段あまり見せない日本女性だからこそ海外版のバチェラーなような大胆さではなく、陰湿でギスギスした空気や派閥争いのようなものがあるのかと思いきや女性同士が共同生活の中で仲間意識みたいなものが芽生えて、そういった面白さが現時点でほとんど無い。

少し大胆な行動に出る女性もいるが、大胆さでは海外の女性に到底及ばないためアメリカバチェラーの劣化版になってしまっているのではないだろうか。

 

 

以上の理由でバチェラーは今の日本では流行ることはないのではないと個人的に思った。

ただ企画としてはとても面白いとは思うし、せっかくここまで漠然とした期待をして視聴したのでシーズン1は最後まで視聴して改めて見極めようと思う。

 

【ここからネタバレありなので注意!!】

僕が好きだった場面

シーズン1での選ばれなかった女性が久保さんに「ほんと見る目ないですね」と吐き捨てて去った場面

シーズン2で木村ゆかりさんが泣いてる女性に向かって「なんで泣いてるの?なにが悲しいの?」と問いつめて、その後番組を辞退して去った場面

ここまで見てきて心に残ってる場面がこれくらいしかない。

というか序盤でこんなに我の強い面白い二人を失ったことが番組としてかなりの損失だったのかもしれない。

あとはゆきぽよのキャラがとても良いのと、蒼川愛ちゃんがめちゃくちゃ可愛いくらい